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横浜地方裁判所 平成4年(ワ)188号 判決

原告

道林良子

被告

中里高章

ほか一名

主文

一  原告に対し、被告中里高章は六〇八万四三七六円及びこれに対する平成元年七月一六日から、被告太田雍子は六三九万九五五六円及びこれに対する平成元年七月一六日から各支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担とし、その余は原告の負担とする。

四  この判決の主文一は、仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告

(一)  被告らは、各自、原告に対し、一七五二万四七七二円及びこれに対する平成元年七月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

(三)  仮執行宣言

2  被告ら

(一)  原告の請求をいずれも棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

二  当事者の主張

1  請求原因

(一)  当事者

被告太田雍子(以下「被告太田」という。)は肩書住所で太田医院を経営する医師、原告は本件事故当時同医院に事務員として勤務していた者、被告中里高章(以下「被告中里」という。)は被告太田の友人、である。

(二)  事故の発生(以下「本件事故」という。)

被告ら両名、原告を含む太田医院の従業員三名、被告太田の友人二名、総員七名(以下「本件七名」ともいう。)は、七泊八日の予定でニユージーランドを旅行中(この旅行を「本件旅行」という。)、七日目の平成元年七月一六日午前九時五〇分ころ、被告中里が運転するレンタカー(以下「本件レンタカー」という。)に同乗し、オークランド・ハミルトン市郊外にある日本茶屋「ミカド」に向かつていたところ、被告中里が同車両を同店の方向へ右折させる際、同車両と折から前方より走行してきた対向車両とが衝突した。

(三)  原告の受傷

本件事故により、原告は、車内中央部座席から後部座席へ全身を投げ出され、その結果、右第三・四・五肋骨々折、右手第三・四中手骨々折、右肩・背部腰部挫傷、頸椎捻挫の重傷を負つた。

(四)  被告らの責任

(1) 被告中里

本件事故は、被告中里が本件レンタカーを右折させる際、一旦一時停止させて前方の安全を確認して運転すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、一時停止させず漫然と同車両を右折させた過失により発生したものであるから、同被告は、民法七〇九条により原告が本件事故によつて被つた損害を賠償する責任がある。

(2) 被告太田

被告太田は、次の理由により、原告が本件事故によつて被つた損害を賠償する責任がある。

〈1〉 運行供用者責任

ア 本件旅行は、毎年一回行われていた太田医院恒例の従業員旅行(いわゆる社員旅行)であり、参加者による単なる共同の旅行ではなかつた。これは、次の事実からも明らかである。

ⅰ 太田医院では、昭和五〇年ころから毎年一回従業員の福利厚生を目的として従業員旅行を行つていた。当初は国内旅行だけであつたが、次第に外国旅行も実施するようになり、本件旅行は外国旅行として四回目である。

ⅱ 従業員旅行の参加は、当初は被告太田と太田医院の従業員だけであつたが、その後、被告中里が参加するようになり、外国旅行を実施するようになつてからは、被告太田の姉が参加したこともある。本件旅行の参加者も、被告太田と原告ら太田医院の従業員三名を中心に、被告太田の知人である女医の山内、同人の義妹及び被告中里、というメンバーであつた。なお、被告中里は、被告太田の知り合いの建具屋であり、昭和五五年ころから従業員旅行に参加しているが、外国旅行への参加は本件旅行が初めてである。

ⅲ 従業員旅行の費用は、従来、国内旅行の場合は全額を被告太田が負担した。外国旅行の場合は、本件旅行以前のそれはすべてセツトパツクされていたところ、セツト費用のうち八〇パーセント程度を被告太田が負担し、残り二〇パーセント程度を各自が負担した。原告ら従業員は、二回目の外国旅行からは各自の負担金に備え、給与から毎月一万円、ボーナスから二万円ずつの積立てを行つていた。本件旅行の費用は、セツト旅行費一人一九万八〇〇〇円のほかオプシヨンの費用があつたところ(なお、外国旅行でオプシヨンが入つたのは今回が初めてである。)、被告太田は、原告を含む従業員三名分のセツト旅行費のうち一人当たり一五万円を負担し、同旅行費の残額及びオプシヨンの費用は、従業員各自が前記積立金などから一人約二〇万円宛を用意した。なお、被告中里の本件旅行の費用は被告太田が負担した。

ⅳ 本件旅行を含む従業員旅行について、被告太田は、旅行中の個人負担に係る費用をも含め、旅行に要した費用を従業員旅行の福利厚生費として税務申告をしている。そのため、原告ら従業員は、オプシヨンの費用等自己負担による領収証もすべて被告太田に渡していた。

ⅴ 本件旅行では、各自の自由行動は全く予定がなく、同行者全員で同一のオプシヨンを決定し、全員が同一行動をとつていた。

イ 本件旅行における現地での日程はすべてオプシヨンであり、レンタカーを使用することは全く予定されていなかつた。ところが、被告太田は、現地で、被告中里からレンタカーを使用することを再三懇願され、当初はこれを拒否していたが拒否しきれず、本件旅行の主宰者として、原告ら他の参加者の意見を聞くこともなく、かつその了解もないまま、被告中里にレンタカーの運転を許可してその運行を決定・実施し、その結果、本件事故に至つたものである。

ウ したがつて、被告太田は、被告中里による本件レンタカーの運転について、運行支配及び運行利益を有していたのであり、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の運行供用者としての責任を負わなければならない。

〈2〉 使用者責任

本件旅行は、太田医院の業務の一環としてなされたものであり、被告太田は、その主宰者として旅行中における行動についての最終の決定権を有し、太田医院の従業員はもとより、他の本件旅行参加者も同被告の決定に従う関係にあつた。特に、被告中里は、本件旅行の前にも、過去数回、被告太田に車の運転を頼まれ太田医院の国内の従業員旅行に参加してきたのであるから、本件旅行において、被告太田と被告中里との間には民法七一五条の使用関係があつた。したがつて、被告太田は、被告中里の本件不法行為について使用者責任を負う。

〈3〉 約定に基づく責任

被告太田は、平成元年一二月七日、原告に対し、原告が本件事故により被つた損害について、被告中里と連帯してこれを支払うことを約し、又は被告中里の原告に対する損害賠償債務を保証した(以下、これを「本件約定」という。)。

(五)  損害

(1) 原告は、本件受傷により、長期間にわたる治療を余儀なくされ、右手骨々折について、平成三年一月二八日、右手指拘縮の後遺症が固定し、その他の受傷による後遺症については、平成三年七月八日、症状が固定し、これらの後遺症のため現在も通院を余儀なくされている。その内容は次のとおりである。

〈1〉 治療の経過

ア 平成元年七月一八日~同年八月一〇日

一色外科胃腸科医院入院

イ 平成元年八月一一日~同月三一日

通院時以外は自宅で絶対安静

ウ 平成元年八月二二日~同年九月八日

一色外科胃腸科医院通院

同医院の指示により、千心堂指圧療院で、はり・灸の治療を併せて受ける。

エ 平成元年九月一一日~平成三年一月二四日

一色外科胃腸科医院の指示により聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院へ転院通院。右通院と併行して筒井治療院でカイロプラテイツク(指圧・マツサージ、整体)の治療を受ける。

オ 平成三年二月六日~現在

室伏整形外科医院で主として頸椎の牽引及びリハビリを受け、また筒井治療院での治療を継続して受けている。

〈2〉 後遺症(以下「本件後遺症」ないし「本件後遺障害」という。)

ア 右手中指・薬指・小指の屈曲障害

イ 右手中指・薬指の伸展及び右手薬指・小指の外転運動の障害

ウ 右手の握力の低下

右手の握力 六キログラム

左手の握力 二五キログラム

エ 右手の皮下出血

オ 頸椎の生理的湾曲の消失

カ いわゆるむちうち症

キ 胸部残存痛

ク 右肩筋硬結

そして、原告の後遺障害については、東京労災病院医師の平成三年一一月二一日の診察により、「残存する後遺障害としては労災等級に当てはめると、項部、右前胸部、右手に、局所的に頑固な神経症状を残し、一二級に相当すると考える。」との診断がなされており、労災等級及びその認定を自動車損害賠償保障法施行令(以下「自賠法施行令」という。)二条別表の等級と別異に考える理由は全くないから、右の後遺障害が自賠法施行令二条別表等級の一二級を下らないことは明らかである。ところで、右の後遺障害は一二級に相当するものが項部、右前胸部、右手の三か所に残存し、いずれか一か所に残存する場合よりも原告の労働能力の喪失の程度及び精神的苦痛が大きいことは多言を要しないとともに、原告には、右の後遺障害のほか、労災等級には該当しないが、理学的所見において、右手握力の低下、右中指、環指、小指の指尖が手掌につかないなどの後遺障害も残存することが明らかになつている。したがつて、原告の後遺障害については、右のような状況を総合的に考慮すべきである。

(2) 以上により、原告の被つた損害は合計一七五二万四七七二円となる。その内訳は次のとおりであるる。

〈1〉 治療費 九〇万八六六〇円

平成二年二月二七日から平成三年七月八日までの治療費である。平成元年七月一八日から平成二年一月一一日までの治療費はAIUの旅行保険によつて支払われ、同年一月一二日から同年二月二六日までの治療費は被告中里によつて支払われている。

〈2〉 交通費 一一万二〇〇円

通院に要した交通費である。

〈3〉 介護費用 四八万二一〇二円

原告の母は本件事故前から痴呆状態にあったため、原告は実姉と半月毎に分担してその介護に当たつていたが、本件事故により介護が全く不可能となつたため、母を施設へ入所させることを余儀なくされた。平成二年七月に本入所が確定したが、同年二月一日から右確定までの間は数か所の施設に短期入所させるほかなかつた。介護費用は、右の短期入所に要した費用であり、その内訳は次のとおりである。原告の姉は平成元年七月から同年一二月三一日まで原告の分も含め六か月間介護に当たつたので、右の費用は原告が負担した。なお、被告太田は、原告がかねて痴呆の母の介護に当たつていることを知つており、被告中里も原告に右の事情があることを知つていた。

ア 短期入所費用 三六万八九五一円

イ 右入所に係る雑費 七万七二四一円

ウ 交通費 三万二六二〇円

エ 健康診断料 三二九〇円

〈4〉 休業損害 七〇万四〇〇円

原告は、本件事故前は、一か月のうち半月は太田医院に勤務し、その余は家事に従事していたが、本件事故による受傷のため、入院期間中及び退院後通院以外は絶対安静期間中の約二か月間並びにその後の一か月間、計三か月間は家事を行うことが全くできなかつた。したがつて、原告は、右の三か月間について少なくとも家事従事者としての損害を被つたと考えるのが相当であり、その損害額は、賃金センサス平成元年第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計の女子労働者五五歳~五九歳の平均年収二八〇万一六〇〇円を基礎として算定すると七〇万四〇〇円となる。

〈5〉 逸失利益 五八四万九四〇円

原告は、本件後遺症のため、現在もリハビリ等の治療を継続しており、日常生活にも多大の障害があるほか、本件事故前は、家事の傍ら一九年間太田医院に勤務して事務等を行つてきたが、その勤務を続けることもできなくなり、平成二年一月末日をもつて同医院を退職した。そして今後そのような勤務も全く不可能である。

本件後遺症による原告の逸失利益は、後遺症が固定した平成三年七月八日時点における原告の年齢の五七歳から六七歳までの就労可能年数一〇年間について、休業損害と同様の年収と労働能力喪失率二七パーセントを基に算定するのが相当であり、次のとおりとなる。なお、労働能力喪失率は、少なくとも自賠法施行令二条別表一一級所定の率を下回ることはない。

年収二八〇万一六〇〇円×ライプニツツ係数〇・二七×七・七二一七=五八四万九四〇円

〈6〉 慰藉料 九〇〇万円

原告の本件受傷と後遺症の内容・程度、AIUによる保険金の支払を打ち切られて後は、後遺障害による治療費だけでも年間約六〇万円の支払を余儀なくされていること、さらには、被告らは本件事故の責任を免れようとして不誠実な態度をとつていること等、一切の事情を勘案すると、原告の本件事故による慰藉料は九〇〇万円を下らない。

〈7〉 鑑定料・検査料 二八万二四七〇円

後遺傷害の診断のため支払つた費用である。

〈8〉 弁護士費用 二〇万円

原告は、本件事故による損害賠償請求を原告訴訟代理人に委任し、着手金として二〇万円を支払つたほか、相当の報酬を支払うことを約した。

(六)  よつて、原告は、被告らに対し、本件事故に基づく損害賠償として、連帯して、一七五二万四七七二円及びこれに対する本件事故発生日である平成元年七月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する被告らの答弁

(一)  請求原因(一)は認める。

(二)  同(二)は認める。

(三)  同(三)は、本件事故により原告が負傷したことは認めるが、それが重傷であることは否認する。原告は、帰国までは日常生活上の支障はなかつた。

(四)  同(四)について

(1) (1)は、被告中里の過失のうち、前方の安全を確認しないで右折した過失は認める。衝突した対向車の車体がモスグリーン色で、周囲の草原の色に溶け込み識別できなかつたという事情がある。その余は争う。一時停止しなかつたことは過失ではない。本件事故現場は、野原の中の郊外道路で、後続車が時速一〇〇キロメートルを超える速度で走行いてくるから一時停止はできない。

(2) (2)について

被告太田に原告に対する損害賠償責任があることは争う。

〈1〉 〈1〉は、主張の趣旨はすべて争い、アⅲⅳⅴ及びイは否認する。

本件旅行はいわゆる社員旅行ではない。参加者各自の意思と費用で行われた参加者全員の共同旅行であり、オプシヨンについても同様である。ツアーで提供されているオプシヨンに参加する者は、旅行の途中で参加を申し込み、自分で費用を支払うのであるが、旅行五日目の午後、ツアー一行がハミルトン市に着いたとき、旅行七日目のオプシヨンには原告を含めて誰も参加の申込みをせず、七日目は全員自由行動をとることとされていて、本件レンタカーの賃借がなされた。被告中里は、被告太田の知人としてかねてから被告太田や太田医院従業員の旅行に同伴してきたが(ただし、海外旅行に同伴したのは本件旅行が初めてである。)、いずれの場合も自分で費用を負担した独立の参加者であり、それは本件旅行においても同様であつた。(ただし、本件旅行の費用については、被告太田が一時立替払いした。)。そして、被告中里は、本件旅行参加者全員の依頼で本件レンタカーを運転したもので、被告太田のみの依頼によるわけではない。本件事故の際も、原告を含む全員の依頼によつて運転していたのである。したがつて、本件レンタカーの運行支配を有していたのは本件七名全員であり、原告自身も同車両の運行供用者の一人であつた。

〈2〉 〈2〉は否認する。被告太田と被告中里との間に使用関係はない。

〈3〉 〈3〉も否認する。後記のとおり、原告と被告中里との間では本件事故について和解が成立し、既にその履行も済んでいるが、被告太田は、この履行済みの和解金の支払について履行までの保証をしただけである。

(五)  同(五)について

(1) (1)は、〈1〉は不知、その余はすべて争う。

(2) (2)は、争う。ただし、〈1〉の治療費のうち平成二年二月二六日までの分が支払済みであることは認める。なお、五七歳以降の逸失利益を平均賃金で計算するのは不当である。

3  被告らの主張

(一)  原告・被告中里間の和解の成立と履行

(1) 原告と被告中里は、平成元年一二月七日、本件事故について和解をし(この和解を、以下「原告・被告中里間和解」という。)、被告中里は、原告に対し、治療費、休業補償、慰藉料、原告の母親の介護費用等として総額一五〇万円の支払を約束し、これを支払つた。なお、右の和解に際し、被告太田は、被告中里の右一五〇万円の支払を保証したが、被告中里がこれを履行したので、被告太田の保証債務は消滅した。

(2) 原告・被告中里間和解は、その後の治療費と通院交通費や、後遺症が出た場合のことはともかくとして、その余の原告の損害は右の一五〇万円の支払をもつてすべて履行済みとする趣旨のものであるから、原告の本訴請求中、母親の介護費用、休業損害、慰藉料を請求する部分は、請求自体失当である。なお、被告中里は、平成二年二月、原告に対し、その後の治療費等として二〇万円を支払つている。

(二)  後遺症と本件事故との因果関係の不存在

本件後遺症は本件事故との因果関係がない。本件事故で原告が骨折したのは「右第三・四中手骨」ということになつている(甲第一号証の一ないし三。なお、同四の「第4、5中手骨骨折」は誤りである。)。「中手骨」とは、甲第一号証の五にいうMP(中手指節関節)より掌側にある骨であつて、その骨折がMPより指先側の指関節の障害を起こすわけがない。中手骨の骨折に伴う筋肉の炎症が筋力の低下を起こしたことはあり得ても、指関節の障害はあり得ない(自賠法施行令でいう指関節の障害は、指節骨の骨折による障害を想定している。)。

(三)  他人性の不存在と過失相殺

前記2(四)(2)〈1〉で主張したように、本件事故は、原告自身も運行供用者として被告中里に本件レンタカーを運転させていた際に起きたものであるから、原告は他人にその損害賠償を請求することはできない。仮に請求できるとしても、原告は運行供用者として相当な過失相殺を受けるべきである。

(四)  信義則違反

本件事故のような国外での事故については自賠責保険の適用がないのであるから、本来、原告は、本件旅行に際し、自ら傷害保険に加入してその保険金で自己の損害をてん補すべきである。それが原告と原告が本件レンタカーを運転させた被告中里との関係のはずである。本件請求は当事者間の信義則に違反する。

(五)  損益相殺

本件レンタカーについては、その借入れの際に傷害保険が付保され、原告の受傷については保険会社が保険事故発生を確認している。その保険金は原告自身が請求すべきものである。右保険金の受領との損益相殺を主張する。

4  被告らの主張に対する原告の答弁

被告らの主張は、いずれも争う。ただし、被告中里が原告に治療費として二〇万円を支払つたことは認める。原告はこれを平成二年一月一二日から同年二月二六日までの間の治療費に充当した。

三  証拠関係

記録中の書証目録・証人等目録のとおりである。

理由

一  本件事故の発生と原告の受傷

請求原因(一)(当事者)及び(二)(本件事故)の各事実は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証の一及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故により、右第三・四・五肋骨々折、右手第三・四中手骨々折、右肩・背部腰部挫傷、頸椎捻挫の傷害(以下「本件傷害」という。)を受けたことが認められる。

二  被告らの責任

1  事実関係

右一認定の事実、成立に争いのない甲第二ないし第四号証、第一〇号証、第一五号証の一・二、乙第一・二号証、第五号証、第七・八号証の各一・二、証人山内則子の証言及び原告本人尋問の結果により成立を認める甲第八号証、右証人の証言、原告及び被告両名各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  被告中里の責任並びに被告太田の運行供用者責任及び使用者責任関係

(1) 本件事故は、被告太田、原告を含む同被告経営の太田医院(以下「太田医院」という。)の従業員三名、同被告の知人である被告中里、被告太田の友人である山内則子(以下「山内」という。)ほか一名の合計七名(本件七名)が、七泊八日の日程でニユージーランドを旅行中の出来事であり、七日目の平成元年七月一六日、被告中里が運転する本件レンタカーに全員が同乗し、時速約一〇〇キロメートルでオークランド・ハミルトン市郊外にある日本茶屋「ミカド」に向かう途中、同被告が本件レンタカーを右折させる際、対向車の有無など安全に右折し得ることを確認して運転すべき注意義務を怠り、前方の安全を確認せず、折から対向進行中の自動車に気づかないまま右折しようとした過失により、本件レンタカー左側面と右対向車の前部とが衝突した、というものである。

(2) 本件旅行は、日本からの添乗員は同行しなかつたが、旅行代理店により本件七名を一つの団体とする形で組まれたもので、大部分は、全員一緒に、当初から予定されていた観光や、あるいは都合により当初とは内容が変更となつたオプシヨナルツアーなどを行つた。

(3) 本件旅行では、レンタカーを借りることは予定されていなかつたが、旅行五日目の平成元年七月一四日、被告中里は、オプシヨナルツアーがつまらないとして被告太田にレンタカーを借りて回ることをいい出した。被告太田は必ずしも気が進まなかつたが結局これを了解し、同日、本件七名がオークランドの宿泊先ホテルに着いて各自一旦部屋に入り、ロビーに再度集まつた際、原告や山内などにレンタカーを借りることにした旨を伝えた。同日、早速、本件七名は、被告中里の運転により本件レンタカーで二、三時間ドライブをした。そして、翌六日目は本件レンタカーを利用することはなかつたが、七日目、当初から予定されていた鍾乳洞観光のため、本件七名全員が同乗して、被告中里運転の本件レンタカーでワイトモへ向かう途中、日本茶屋へ寄ろうとした際、本件事故が発生した。

(4) ところで、太田医院では、本件旅行の一〇年以上前から毎年一回被告太田と原告ら従業員による旅行が行われていた。当初は国内旅行であつたが、その後、海外に出かけるようになり、本件旅行は海外旅行としては四回目であつた。参加者は、大部分の旅行は、被告太田と原告ら従業員のみであつたが(もつとも、常に必ず従業員全員が参加したわけではない。本件旅行に加わらなかつた者もいた。)、時には部外者が入ることもあつた。本件旅行に参加した部外者についていえば、被告中里は海外旅行は初めての参加であつたが、国内旅行には同行したこともあつた。山内は前回の海外旅行にも参加していた。これらの旅行の費用は、少なくとも原告ら従業員の分は、国内旅行時代及び海外旅行のうちの初めの二回(香港と台湾)については全額を被告太田が負担し、本件旅行とその前の旅行については大部分を同被告が負担した。本件旅行について旅行代理店に払い込んだ費用は一人当たり一九万六〇〇〇円であり、原告ら従業員についてはそのうち一五万円は被告太田が負担し、その余は各自が負担した。被告中里及び山内ら従業員以外の参加者の分は、各自が負担した(ただし、被告中里の分は、同太田が一時立替払いし、後日、返済を受けた。)。なお、原告ら従業員は、第一回目の海外旅行の後、海外旅行時の小遣い用に積立てを行つていた。

(5) 被告太田と同中里とは、被告太田が飛騨高山に旅行したとき知り合い、被告中里が同太田の姉とも知り合いだつたことなどから付き合うようになり、被告中里は前記の国内旅行に何回か参加したりした。本件旅行については、平成元年六月半ばころ、被告中里は旅行中のオーストラリアからたまたま被告太田の家に電話した際、本件旅行の計画を聞いて、参加することになつたものである。

(二)  被告太田の本件約定に基づく責任関係

(1) 原告及び山内らは、本件事故により負傷し、本件旅行に際してかけていた旅行保険を使用して治療を受けていたが、右保険の有効期間が一八〇日間で、平成二年一月には切れることとなることなどから、被告中里に対し、本件事故による損害賠償義務を明確にすることを求め、話し合いを行つた。

(2) 右の話し合いに基づき、平成元年一二月七日、山内において、本件七名のうち被告中里を除く六名と同被告との各合意文書として、被告太田用と原告を含むその余の者用との二種類の「約定書」と題する書面を起案した。被告太田用のものは、「被告中里は今後とも誠心誠意尽くすことを誓う」といつた類いの文面であり、その余の者用は、

「甲 中里高章は、一九八九、七、一六、ニユージーランド・ハミルトン市郊外で運転ミスによる自動車事故を起し、乙(空欄)に別紙(診断書写し)の如き傷害を負わせました。

その負傷による苦痛によつて生じた精神的苦痛並びに乙の家庭に与えた迷惑及び精神的苦痛その他に対して慰謝料及び必要経費として金(空欄)円を支払います。

更に乙の傷害保険の期限が切れた後は治療終了期間までの治療費及び通院に要する交通費を負担いたします。

更に今後後遺症が発生した場合には医師の診断書に基き別途協議することを約束します。

元年一二月七日

乙」

といつた旨の内容のものであつた。

(3) そして、右同日、被告太田宅において、原告らは右約定書のコピーを数枚とつて各人ごとの約定書を用意し、各書面の金額欄に金額を補充したうえ、末尾甲欄に被告中里が住所氏名を記入して名下に押印し、乙欄に各人が住所氏名を記入した。なお、原告用のものとして作成された書面には、金額欄に「一五〇万」と補充されたほか、二枚目、三枚目が添付されている。二枚目には、「請求額、道林一五〇万、山内一〇〇万、横山三〇万、小川二〇万、肥田二〇万、太田二〇万」との内容が、三枚目には、「道林 内訳、慰謝料一〇〇万、通院交通費五万、手伝いへの謝礼二五万、母の一時預け費用二〇万、計一五〇万(別に休業補償は太田先生に支払つてもらいたい)」との旨が、それぞれ記載されている(この原告用に作成された約定書を、以下「本件約定書」という。)。

(4) さらに右同日、本件約定書等が作成された後、原告らの意を受けた山内は、「念書」と題して、「甲 中里高章 乙(空欄)の関わる傷害事件に関し約束事項に盛りこまれた甲の支払う義務のある慰謝料その他として金(空欄〔空欄A〕)円を支払わなかつた場合は(空欄〔空欄B〕)が支払いを履行することを保障し念のため当書を査収願います」との全面の書面(以下「本件念書」という。)を作成した。同書面についてコピーが二通作られ、いずれについても「空欄B」に被告太田が「太田雍子」と署名し、末尾に被告中里が住所氏名を記載して名下に押印した。そして、一通の「空欄A」には、本件約定書の二枚目に記載された合計金額である「三四〇万円」が記入され、もう一通の「空欄A」には何も記入されなかつた(以下、金額の記入されたものを「本件念書A」といい、金額の記入されていないものを「本件念書B」という。)。原告及び山内としては、当時まだ右両名らは本件事故による傷害の治療を継続中で、最終的損害額は未確定であると考えていたことから、本件念書Aは念書作成時までに既に生じた損害についてのもので、本件念書Bは今後生じ得る損害についてのものと認識していた。そして、右の各コピーに被告太田が署名する際、原告らは、同被告に対し、「被告中里が支払をしないときのために保証人になつてくれますか」と聞いたところ、被告太田は「もちろんよ」といつて原告らの目の前で署名した。また、同時に、原告は、右のような認識に基づき、被告太田に、「念書のうち一通は将来のためのものだから金額が入つていない」といつたことを説明した。

以上のとおり認めることができる。被告ら各本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲その余の証拠に照らしてにわかに採用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。

2  判断

右認定の事実に基づいて検討すると、次のとおりである。

(一)  被告中里の責任

本件事故が被告中里の過失に起因するものであることは明らかであり、同被告には本件事故について民法七〇九条に基づく損害賠償責任がある。

(二)  被告太田の責任

(1) 運行供用者責任

本件レンタカーの運行は、被告太田が同中里の希望を入れてその了解のもとになされたものであるところ、本件旅行は、部外者の参加があつたにしても、またこれに参加するか否かはもとより各人の自由意思によるものであつたとはいえ、被告太田が主宰した世間一般にいわゆる社員旅行・従業員旅行の性質を帯びたものというべきであること、そして当初から本件七名を一つの団体とする日程が組まれており、参加者も全員、特段のことがない限り、被告太田の統率のもとに団体として同一行動をとることを予定し、現に、大部分の日程を全員が行動を共にして過ごしたこと、しかも、参加従業員三名の旅費のうち旅行代理店に払い込んだものの四分の三以上は被告太田の負担であつたこと、また、被告中里はいわば飛入りで本件旅行に参加した立場にあり、旅費も被告太田に一時立て替えて貰つていたこと、したがつて、被告太田が同中里の希望を入れず、レンタカーを借りることに了解を与えさえしなければ、本件レンタカーによる運行はなかつたと考えられること等の事情に鑑みると、本件レンタカーの運行は、被告太田が本件旅行の主宰者・統率者の立場でこれを決定し実施したもので、同被告は、本件レンタカーの運行について、いわゆる運行支配を有していたものというべきであり、それに伴つて運行利益もまた有していたものと見るのが相当である。したがつて、同被告は本件事故当時本件レンタカーの運行供用者であつたと認めるのが相当である。

(2) 使用者責任

民法七一五条の使用者責任は、必ず雇用関係を前提としなければならないとまではいえないにしても、ある程度の継続的支配・従属関係の存在を必要とするものと解されるところ、被告太田と同中里との間に右のような関係を認めるのは無理である。被告太田に使用者責任を認めることはできない。

(3) 約定に基づく責任

原告・被告中里間に本件約定書による合意が成立したことは明らかであるところ、前記1(二)(3)認定の二枚目・三枚目を含むその文面に照らすならば、右の合意は、本件事故による原告の損害について、休業損害を除く(なお、この点は、「別に休業損害は太田先生に支払つてもらいたい」とされていることから明らかである。)約定書作成時点までに既に生じたもの一切と母親の介護費用(以下、これを「本件既発生分」という。)を一五〇万円とするとともに(なお、母親の介護費用の点は、「母の一時預け費用二〇万」とされていることから明らかである。)、将来発生する分をも含めて、被告中里において原告にこれを支払うことを約したものと認めるのが相当である。将来分の損害項目として具体的に挙げられているのは、治療費、通院交通費及び後遺症による損害の三項目であるが、本件約定書が本件事故による被告中里の損害賠償義務を明確にすることを求めた話し合いの結果作成されたものであることなどを考えると、右の項目は例示的なものにすぎず、支払約束の対象はこれに限られる趣旨ではないと認められる。また、後遺症による損害については、「更に今後後遺症が発生した場合には医師の診断書に基き別途協議することを約束します。」とされているから、「協議」が約束されただけで、「支払」まで合意されたわけではないと見得る余地がないではないが、右の作成経緯や、後記説示の本件念書ABの作成とそれについての原告らの被告太田に対する説明などに鑑みると、原告は、後遺症による損害についても被告中里の支払約束が得られたものとして本件約定書に住所氏名を記入したと見るのが自然であり、一方、同被告においても、単なる「協議」ではなく、「支払」を約する認識のもとにこれに署名押印したものと認められる。したがつて、後遺症による損害についても本件約定書によつて原告・被告中里間に支払約束が成立したものというべきである。

そして、本件念書が、本件約定書等による原告らと被告中里との合意をうけ、同被告の原告らに対する本件約定書等に基づく支払約束の履行について被告太田も自ら責任を負うことを約する趣旨のものであることはその文面上明らかであり、また、本件念書Aが本件既発生分の損害として合意された金額についてのもので、本件念書Bが将来発生する損害についてのものであることは、原告らがそのように認識していただけでなく、被告太田においてもまた原告らの説明などによつてこれを理解していたものと認められたところ、そのような状況下において、被告太田は、本件念書ABの各空欄Bに署名したのであるから、これにより同被告は、被告中里の原告らに対する本件約定書等に基づく支払約束の履行について、本件既発生分の損害として合意された金額だけでなく、将来発生するものについてもこれを原告らに支払う責任を負うことを約したものと認めるのが相当である。

三  損害

1  事実関係

原告が本件傷害を受けたことは前記認定のとおりであり、前掲甲第一号証の一、成立に争いのない甲第一号証の二ないし五、第九号証の一、第一〇号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告の右傷害のための治療経過は請求原因(五)(1)〈1〉のとおりであること、右傷害による後遺症として、項部、右前胸部及び右手に頑固な神経病状があること、その病状固定時期は平成三年一一月ころであり、その程度は自賠法施行令別表所定第一二級に当たることが認められる。原告は、右を超える後遺症がある旨主張するかのようであるが、右甲第一〇号証中これに沿う部分はにわかに採用できず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠は存しない。

2  判断

右認定の事実に基づき、原告主張の本件事故による損害について検討すると、本件事故と相当因果関係のある損害は次のとおりとなる。

(一)  治療費

成立に争いのない甲第五号証の一ないし五四、第七号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、保険及び被告中里から支払を受けた分を除く平成二年二月二七日以降の治療費は九〇万八六六〇円を下回ることはないと認められる。

(二)  交通費

右甲第七号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告が治療のための通院に要した交通費は、平成二年一月一三日以降の分だけでも一一万二〇〇円を下回ることはないと認められる。

(三)  母親の介護費

右甲第七号証、成立に争いのない甲第六号証の一ないし一九、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は本件傷害及びその治療のための入通院を余儀なくされたことにより痴呆状態の母親の介護を自ら行うことができず、施設による介護を受けさせるため合計四八万二一〇二円を負担したことが認められる。

(四)  休業損害

右甲第七号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、原告は、本件事故前から平成二年一月まで、一か月のうち半月は太田医院に勤務し、その余は家事に従事する立場にあつたところ、本件事故による受傷のため、少なくとも三か月間はほとんど家事労働に従事することができなかつたことが認められる。これによる休業損害は、賃金センサス平成元年第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者五五~五九歳の平均年収二八〇万一六〇〇円を基礎とし、その約三か月分の二分の一である三五万二〇〇円の限度で認めるのが相当である。原告は約三か月分全額を休業損害として主張するが、事故前における右のような家事従事の態様に照らすと、原告が家事労働に従事することができなかつたことによる休業損害として認め得るのは右の程度に限られるものというべきである。

(五)  逸失利益

原告の本件後遺症による労働能力低下の程度、年齢(前掲甲第一号証の一によれば、昭和九年七月三〇日生まれと認められる。)、日常生活上の不便等を勘案すると、原告の本件後遺症による逸失利益は、症状が固定した平成三年一一月当時の五七歳から稼働可能年齢である六七歳までの約一〇年間について、労働能力喪失率を一〇パーセント(これは、後遺症とは関係なく加齢に伴つて必然的に労働能力が低下するであろうことを斟酌したことによる平均的数値である。)とし、賃金センサス平成三年第一巻第一表、産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者五五歳から六五歳超までの平均年収約二九二万円を基礎としてこれを算定するのが相当である。そうすると、一〇年のライプニツツ係数により中間利息を控除したその現価は、二二五万四七三六円(円未満切捨て)となる。

(六)  慰藉料

前記認定の治療経過及び後遺症の程度等、本件に現れた一切の事情を勘案すると、原告の本件傷害による精神的苦痛を慰藉すべき金額としては、いわゆる入・通院慰藉料として二〇〇万円、後遺症慰藉料として二〇〇万円、合計四〇〇万円をもつて相当と認める。

(七)  鑑定料・検査料

前掲甲第九号証の一、成立に争いのない甲第九号証の二・三及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件における主張・立証のため、平成四年三月、後遺障害について医師の診断を受けることを余儀なくされ、そのための鑑定料・検査料として二八万二四七〇円を支払つたことが認められる。

四  被告らの主張について

1  「原告・被告中里間の和解の成立と履行」について

原告と被告中里との間で、平成元年一二月七日、本件事故による原告の損害について、本件約定書による合意が成立したこと、その内容は、本件既発生分、すなわち右の時点までに生じたものと母親の介護費用については休業損害を除いて一五〇万円とするものであつたことは前記二2(二)(3)で説示したとおりである。したがつて、原告は本件既発生分について被告中里に一五〇万円を超える請求をすることは許されない。同時に、原告は被告太田との関係でも本件既発生分については一五〇万円を超える請求はできないものというべきである。前記二1(二)(3)(4)で認定した本件念書が作成された経緯とその内容に鑑みると、本件念書Aによる原告と被告太田との約定は、およそ本件既発生分については被告太田の責任もまた一五〇万円を限度とする趣旨の合意が含まれたものと解するのが相当であるからである。被告らの「原告・被告中里間の和解の成立と履行」の主張は、被告太田の責任について右のような趣旨をも主張しているものと解される。

しかるところ、弁論の全趣旨によれば、被告中里は右の合意に基づく一五〇万円を原告に支払つたことが認められるから、原告の損害のうち本件既発生分については既に清算済みであり、被告らの責任はその限度で消滅したものというべきである。

前記三2で認定した損害についてこれをみると、(三)の母親の介護費が本件既発生分としてもはや被告らに請求できないことになることは明らかである。(六)の慰藉料については、前記三1認定の治療経過に照らすと、いわゆる入・通院慰藉料二〇〇万円のうち半分の一〇〇万円は本件既発生分に属するものとして、これを請求できないものと認めるのが相当である。

なお、被告中里が原告に対し治療費として二〇万円を支払つたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右金員は本件既発生分以外の分に係るものと認められる。

以上の認定・説示の限度で被告らの主張は理由があり、その余は失当である。

2  「後遺症と本件事故との因果関係の不存在」について

被告らは、原告の本件傷害中右手第三・四中手骨々折を取り上げてそれによる指関節の障害はあり得ないとして、原告主張の後遺症と本件事故との因果関係が存在しない旨主張するが、原告に右の骨折を含む本件傷害による後遺症として、項部、右前胸部及び右手に頑固な神経症状があることは前記三1で認定したとおりであるから、右主張は採用の限りでない。

3  「他人性の不存在と過失相殺」について

被告らは、原告も運行供用者であつたと主張するところ、前記二1(一)認定の事実によれば、原告らは、被告太田から本件レンタカーの利用を伝えられて、その内心の思いはともかく格別の異を唱えることなく同調し、現に被告中里運転の本件レンタカーに同乗したのであるから、その限りでは原告らも本件レンタカーの運行を許容し、被告中里にその運転を依頼したものと評し得る面がないではない。しかし、前記二2(二)(1)で認定・説示したように、本件旅行はいわゆる社員旅行・従業員旅行の性質を帯びたもので、被告太田の統率のもとに団体として同一行動をとることが予定されていたのであり、被告太田が本件旅行の主宰者・統率者として本件レンタカーの運行を決定した以上は、原告らにおいてこれに反対し、同被告と別異の行動をとるのは事実上無理であつたというべきである。原告らに運行供用者性まで認めることはできない。ただし、原告らに右説示のような面のあつたことに照らすならば、原告は運行供用者その者ではないにしても、それに準ずる立場にあつたものとみることができるから、かかる事情はこれを過失相殺に類する法理によつて本件における原告の損害賠償額に反映させるのが損害負担の公平の原則上相当というべきであり、原告の過失に当たる割合は、後記五1(一)ないし(七)認定の損害額の一割(ただし、被告中里との関係では、右損害額のうち(四)の休業損害を除く損害額の一割)をもつて相当と認める。

被告らの主張は、右認定・説示の限度で理由があり、その余は採用できない。

4  「信義則違反」について

被告らは、信義則違反を云々するところ、弁論の全趣旨によれば、原告の損害のうち平成元年七月一八日から平成二年一月一一日までの治療費は保険によつて賄われたが、その余については保険によつてはてん補されていないことが明らかである。本件旅行のような国外旅行に際しては、旅行者は万一の損害を全額てん補し得るに足りるだけの保険に自ら加入しておくのが望ましいことはいうまでもないが、原告がかかる措置をとつていなかつたために、被告中里あるいは同太田に対し保険によつててん補されなかつた損害の賠償を求めることが直ちに信義則に反するとまでいうことはできない。

被告らの主張は採用しない。

5  「損益相殺」について

被告らは、本件レンタカー借入れの際に付保された保険からの保険金の受領との損益相殺を主張するが、前掲甲第一五号証の一・二、乙第七・八号証の各一・二、被告太田本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、右保険については原告の関係を含めて保険金の支払を求める手続がとられたが、結局保険金の支払を受けられていないことが認められるから、右主張は採用の限りでない。

五  損害額

以上によれば、被告中里は民法七〇九条に基づき、同太田は自賠法三条及び本件約定に基づき、各自、原告が本件事故により破つた損害を賠償すべき責任があるところ、四の認定・判断によつて原告が被告らに支払を求めることができる損害額を検討すると、次のとおりとなる。

1  三で認定した損害について

(一)  治療費

原告は平成元年七月一八日から平成二年一月一一日までの治療費は保険によつて賄われ、同月一二日から同年二月二六日までの治療費は被告中里によつて支払われているとして、平成二年二月二七日以降の分のみの支払を求め、その全額を九〇万八六六〇円としているところ、同日以降の治療費が同金額を下回ることはないことは前記三2(一)で認定したとおりである。そして、原告が被告中里によつて支払われているとするのは、弁論の全趣旨によれば、四1認定の二〇万円を指していることが明らかである。しかるところ、前掲甲第五号証の一ないし五四及び第七号証を精査検討すると、原告のいう平成二年一月一二日から同年二月二六日までの治療費は合計一二万四一六〇円であり、二〇万円に満たないことが認められる。したがつて、その差額七万五八四〇円は、平成二年二月二七日以降の治療費の支払に充てられたものとして損害額からこれを控除するのが相当であるところ、右各号証によると、平成二年二月二七日以降の治療費は合計九六万四八三〇円と認められる。したがつて、原告が被告らに支払を求めることができる治療費は八八万八九九〇円である。

(二)  交通費

一一万二〇〇〇円である。

(三)  母親の介護費

四1で判断したように、母親の介護費用については、被告中里が本件約定書による合意の履行として一五〇万円を支払つたことにより既に被告らの責任は消滅している。原告はもはやこれを請求することはできない。

(四)  休業損害

休業損害は、本件約定書において被告中里はそれについて賠償責任を負わない旨が合意されたというべきであるから、同被告にその支払を求めることはできないが、被告太田に対しては少なくとも同被告の運行供用者責任に基づき三五万二〇〇円の支払を求めることができる。

(五)  逸失利益

二二五万四七三六円である。

(六)  慰藉料

いわゆる入・通院慰藉料二〇〇万円のうち一〇〇万円は本件既発生分に属するから、原告が請求し得るのはこれを控除した三〇〇万円である。

(七)  鑑定料・検査料

二八万二四七〇円である。

(八)  過失相殺類似の法理の適用

以上の損害額は合計六八八万八三九六円となるところ、四3で説示したところによつて過失相殺類似の法理を適用すると、原告が支払を求め得る損害額は、被告中里に対しては右金額から(四)の休業損害を差し引いた六五三万八一九六円の九割に当たる五八八万四三七六円(円未満切捨て)であり、被告太田に対しては右六八八万八三九六円の九割に当たる六一九万九五五六円(円未満切捨て)である。

2  弁護士費用

原告が本件訴訟の提起・遂行を原告訴証代理人に委任し、着手金として二〇万円を支払つたほか相当の報酬を支払うことを約したことは弁論の全趣旨によつて明らかであるところ、本件事案の性質、審理の経過、認容額等に鑑みると、原告が本件事故と相当因果関係のある損害として被告らに対して賠償を求め得る弁護士費用の額は、原告の請求する二〇万円を下ることはない。

3  まとめ

以上によると、原告が支払を求め得る損害額は、被告中里に対しては六〇八万四三七六円、同太田に対しては六三九万九五五六円である。

六  よつて、原告の本訴請求は、被告らそれぞれに対し、五3の各金員とこれに対する本件事故発生日である平成元年七月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当であるから、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 根本眞)

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